今年は新型コロナの影響で、自粛要請も出ているので堂々と実家に行かないお正月です。

自分の実家に行きたくない。年末年始の帰省を卒業しました。
私は自分の実家に行きたくないのです。
ここ数年は いやだなー・・・。とわりと本気で悩んでいました。
なぜ行きたくないのか
家の手伝いをしたくないから。
自分が住んでいない家の大掃除。やりたくありません。
親も老いているので、手の届かないところを手伝ってあげるのは優しさだとはわかっています。
私は中学卒業後から実家には住んでいませんが、毎年年末年始には実家に行き、(帰る、というより、行く、と思っています)
大学生や20代の頃は実家の大掃除をしていました。
それからさらに20年。私自身も、老いました。
老いた親の家を老いた子供が掃除する。
老老介護、というパワーワードがありますが。
そこまでいかないけど、老老年末大掃除、みたいな感じ。
掃除をする体力は、私にもありません。
年をとったら古い戸建てを家じまいして、大掃除の必要ない暮らしにシフトするっていうのも、親のつとめでは・・・とすら思います。最近。
親の面倒をみるのは子供、という文化の限界をかんじます。
昔の大人って、せいぜい70代で亡くなってましたよね。
面倒見る期間が長すぎます。
実家のしきたりで食事をしたくないから
昭和スタイルのごちそうを食べたくない
実家では大晦日と元日、正月三が日ぐらいは割と豪華なごちそうを食べます。
私が子供だった頃は、それが楽しくて、幸せな家族の理想的なお正月の過ごし方だったと思います。
当時は年末年始はお店が閉まっていました。
せっせと料理を作って、家族で囲む。というのは当たり前でした。
しかし。
昨今は大晦日と三が日もスーパーがあいているし、ファミレスいけるし、ファストフードも食べられる。
家で料理を作り置きする必要がなくなりました。
そして、つらいのがごちそうの量が多いことです。
買い込んで、傷んでくるから食べ切って、というのももったいない。
お刺身、お煮しめ、お吸い物、茶碗蒸し、ごはん、締めにおそばを食べるまであれこれとどっさりの食べ物をふるまわれるのが本当につらい。
別にそこまで無理して食べたくないんです。
私も、私の子も、食いしんぼうではありません。
生まれつき、食に興味がないタイプです。
好きなものを少しだけ、食べたらそれで満足します。
少食な人にとって、大量のごちそうはもはや苦行でしかない。
実家のごちそう、実は子供の頃から完食したことはほとんどありませんでした。
20代の、いちばん体力あったころに3回ぐらいは完食できたかな?というぐらい。
1度も食べ切れたことのない量のごちそうを40年以上食べさせられてきました。

ほんとに勘弁してほしい。
残したところで翌日あたためなおして食べるだけですが、せっかくの食べ物を残して、冷やして、あたためなおして、という無駄な食べ方じたいをしたくないのです。
食べ物は、おいしいと思う量を、おいしい状態で食べたい。ただ、それだけ・・・。
ごちそうの支度をしたくない
お膳にごちそうを並べて食べる、というしきたりがいやです。
大晦日も、元日も、夕方から夕食の支度に1時間ぐらいかかるので、その手伝いをするのがいやです。
料理をしている母はもっと前から、なんなら前日から何時間も料理してるんですが、
それだけの手間と時間とお金をかけた割にはそこまでおいしくないんです。
母ごめん。
たぶん食べ物なかった時代ならおいしかったんだと思う。
食文化としての楽しみは、理解したいと思います。
お正月をむかえることを楽しみに、何時間もかけて食事のしたくをすること自体が
老いた母の楽しみなのだとも思います。
でも、それもごめん、母。
私は楽しくない。
毎日が日曜日の老人とはちがい、私は毎日働き続けて、やっとたどりついた短い冬休みなのです。
休みたいんや・・・!!
お正月という食文化は大事だとは思ってます。
おせち料理とか、年越しがめでたい、っていう気持ちはわかるんです。
でも、デパートやスーパーのおせち料理をつまめば、十分なんです。
それぞれの食べ物の由来を家族で話したりできれば、それでいい。
あれを運んで、これを盛り付けて、並べ終わったらみんなが揃う時間にお吸い物をあたためて・・・と旅館の仲居さんのように働かされ、やっと座って食べ始めても、最後にお蕎麦を出せのなんのとゆっくり酒も呑めません。
ついでに、男たちは呑んでいていいから、女が働け。って流れになっているのもほんとにいや。
こんな食事している実家ってどれくらいあるんでしょうか。私の実家だけ?
そういえば、支度だけじゃなくて、後片付けもあるのでもう1時間ぐらい働くんでした。
器をたくさん使うので。
たぶん、食べ物のなかった時代に育った老人(=母)にとって、ごちそうを囲むというイベントが、支度も全部こみで楽しみなのかもしれませんが、だったらひとりでやってください。
いやもう、ほんとごめん。母。
遠くにいる身内をわざわざ集めなくてもいいですよね、老人のお友達同士でやるとか、どうだろう。
そのほうが価値観が同じなので楽しいんじゃないかと思います。
スーパーで買ったおせちやオードブルを、パパッと普通のテーブルやこたつに並べて食べたい。
食後はみかんでも食べて、座ったまんまダラダラ過ごしたい。
ほんとうにそれだけ。ささやかな夢です。
食ハラ、メシハラというそうです
相手が食べたくない食べ物をふるまい、たくさん食べて!やれ食え、それ食え、とおせっかいをすることを「食ハラ」「メシハラ」というそうですね。
たしかに。ハラスメントでしかない。
食が幸せだと思っている人っていますよね。食いしんぼう。
食に興味がない人もいるんだよ・・・。
寒いところに行きたくない。
これは単純に、実家が東北だからです。
岩手県の沿岸部は内陸に比べたらあったかいし、最近は地球温暖化の影響で雪もほとんど降りませんが、東京よりはそりゃ寒い。なんだってわざわざ寒いところに冬に行かなきゃならんの。
四国とか沖縄とか、あったかいところが実家だとよかった。
自分のホームではない。
実家といっても、中学までしか住んでいないので、自分のものは何もありません。
まあしょうがないんですが、老人(母)がひとりで住んでいる家なので、いつも通りの暮らしができません。
起床、就寝、三度の食事の時間が決まっているし、だらだらとスマホやネットを見て過ごせません。
休みの日に朝食なんて食べたくないし、三食も食べられないのですが、母は自分の生活に合わせない人間がいると不機嫌になるタイプ。
実家が不便すぎる
車で出かけないとコンビニも商店もないので、ちょっとなんか買ってくる〜。ってことも、できません。
Wi-Fiは5年ぐらい前につながり、Fire Stick TVやポケットWi-Fiを持っていけばYouTubeも見られるようになったのでだいぶマシになりましたが、年末年始は前述の通り、毎日ごちそうのしたくに追われるので遊ぶ時間もありません。
そんなにしてまでごちそう食べたくない(しつこい)ので、何も楽しくない。
東京の住まいから、片道6時間かかるのも遠すぎます。日帰りできる距離ならまだよかったんですが。
実家がきたない
きたない、というとまた母に申し訳ないとは思ってるんですが、物が多すぎて私の具合が悪くなるのです。
不衛生というわけではないんですが、大量の不要なものに埋まっているのを見ると、疲れる。
たぶん、ものが多いと、脳が処理しなきゃない情報の量も多くなるんじゃないかなと思います。
50年近く前の布団とか、もっと古い祖母の家具とか、時間が止まったままそこにあるのが怖いというか、なんというか、いやなのです。
母が死んだらどうすんのこれ。こんなに大量なもの、処分だけでもいくらかかるの。
私は古い家具も日本家屋も好きなので、
骨董として価値があって、誰かが喜んで引き取ってくれるようなものがそろっているなら、すてきだなあと思うんですが、
わたしの実家は日本家屋ではないし、家具もただ古いだけのガラクタです。
しかも壊れていたりする。
生きているうちに少しでも処分を、と母に求めるのは無駄だとわかったので何も言わないことにしていますが
見るだけでこちらにストレスがたまるので、もう見ないようにするしかありません。
見ない=実家に行かない。
お金がかかる
これも単純に、遠いので、新幹線代がかかります。親子で往復4万4千円ぐらい。(2020年現在)
家族で帰省にかかる費用としては高くもないんでしょうが、それだけのお金があったら買い替えたい家電とか、帰省ではない国内旅行とか、ほかの楽しいことに使いたい。
よくある反論にお答えしてみます。
以上が実家に行きたくない理由でした。
「自分の実家に行きたくない」でぐぐると、私と同じような人たちがけっこういるので、わかるーーー。と共感します。
はい、そこで出てくる、反論にお答えしたいと思います。
反論あるある:親に会いたいと思わないの?
思いません。
親を嫌いとか、会いたくないわけではないんですが、上記のような嫌な思いを我慢してまで、毎年毎年会わなくてもいいかなーと思ってます。
毎日母からメールはくるし、たまに電話やプレゼントもしているし。
反論あるある:実家があるだけいいじゃない
私は実家がない、またはもうなくなった、という人がうらやましいです。
家じまい墓じまい問題を考えるとほんとどうすんだよって感じで、吐きそう。
自分がうまれた家がうまれた時のまんまの場所にあるのは幸せなことなのかな、と考えたこともありますが、私が生まれる以前のものまでが大量に実家にたまっているのがもはや怖いです。
それにやっぱり、遠い。日帰りできるぐらいの距離ならいいのになあと思います。
反論あるある:ごちそう作ってくれるなんて優しいじゃん
優しいんじゃないんです。
相手の食べたいものを、食べたい量だけ、母がひとりで支度してくれたらそれは優しいと思います。
母は自分がごちそうを囲むと幸せだ、というテンプレートを守りたいのです。それを40年間も、子供に押し付けているだけ。
ごちそうだろうがなんだろうが私が食べたくないんだから、いやがらせみたいなもんです。
反論あるある:お母さんかわいそう。老人のいうこと聞いてあげたら。
40年間いうこと聞いてきたので、そろそろ卒業してもいいですかね
反論あるある:お母さんは会いたいんだよ
それは否めませんが、会いたいのは私じゃなくて孫(うちの子)なので、子がもう少し大きくなったら1人で実家(おばあちゃんち)に行ってもらうのも良いかなと思ってます。
新幹線で寝てしまうので、起きていられるようになったら1人で乗れるかな・・・
と、実際は親にこんなこと絶対にいわないので、
ここに書いたらすっきりしました。成仏ブログ。
実家に行かない。新型コロナのおかげ。
そんなわけで今年は自粛要請が出ているおかげで、帰省をせずに済みます。
本当に!!本当に!!!嬉しいです。

昼までふとんから出ないで毎日だらだら暮らすんだ!
出来あいのもの食べるんだ!
むすめの友達家族と宴会するんだ!!(※少人数です)
実家に行かないためには、どうするか。
来年の話をするのは気が早いですが
「お年寄りに感染させてはいけないから。」というのは、なかなかいい理由になるなとわかりました。
いい理由、というのは不謹慎かもしれませんが。
新型コロナ、インフルエンザの感染予防のため。と言う。
病気の感染が危ないから、帰省を控えます。
これ、新型コロナが収束しても、真冬の帰省を断る理由として来年以降も使えるなと思いました。
帰省をやめるための口実というだけではありません。
今までだって、人が集まったり、出入りしたりしていることは病気の感染を広めてはいたわけですから、無理して集まるのがいやだなーという時は、その行事への参加をやめてみる。
おばあちゃん(母)にうつしたら申し訳ないから、心配だからだよ、と言えるのも嬉しいです。
会社の災害対策本部からも、自粛要請が出ているんだよ。と言えば、親も無理に来いとは言わないでしょう。たぶん。
ゆっくり休みたいから。とはっきり伝えてみる。
前述した通り、「手伝いたくない」「母のごちそうを食べたくない」「実家がきたない(物が多い)のが嫌」
というのは、母を傷つけてしまうので、伝えられない真実ではありますが、
「ごめんね、今年、仕事おさめまで本当に働きづめで、疲れていて。」
「新幹線で移動したり、慣れないふとんで寝ると疲れが取れないから、ごめんね」
と、さも申し訳なさそうなていで優しく断ると、相手も怒りはしないかと思います。たぶん。
正月以外で埋め合わせをする
年末年始は特に、交通費も割引されない期間ですし、ごちそうを食べる・
(今年はないけど)年始のあいさつ・初もうでに行く・・・などの慣習が多くて疲れるわけです。
正月を避けて、別の日に帰省をする、という策も良いかと思います。
子供の春休みに、自分も平日に休暇を使えば、混雑や正月の行事を避けることができます。
年に1回顔見せておけば、実家との縁はまずまずキープできるでしょう。
いつ帰省しても、年に1回という回数は同じ。
混雑や疲れる行事のない時にフラッと行ってつなげておきましょう。
まとめ
もう正月は実家に行かない
なにかしら理由をつけてこれからも年末年始は東京で過ごしたいなあと思っています。
母の食ハラがなくなって、実家が少しでも片付いたら考えてもいいのですが、今のところそんな兆しはなさそうです。
世代間の断絶は良くないのですが
世代間の断絶、という言葉を聞きます。
お年寄りをあまり老害よばわりしたり、避けすぎることはいけないとは私も思います。
お年寄りから学んだり、違う価値観のもの同士が一緒に過ごすっていうのも大事なんですが、
毎年じゃなくてもいいよねという感じです。
みんなが長生きしすぎて、子供の世代も老いてしまっているし、
晩婚、晩産で、孫の代と年齢が離れてしまって、集まって実家を手伝うバランスが昔と変わった、
というのもあるよなーとこれ書いてて思いました。
正月なんてまさに世代間格差が大きい行事。なにもそこにぶつかって行って帰省することないのかなと思いました。
お互いが疲れるんじゃ、せっかくの新年をむかえるという行事が、本末転倒。
時代にあわせて柔軟にしましょう。
できないなら、実家に行かない。
なんにせよ無理しないのが一番ですね。