子供とプールに通い、子供も泳げるようになったのですが
私自身が泳げない子供時代を過ごしたので、その回想と記録をつづりたいと思います。
昭和の子供はどうやって泳ぎをマスターしていたの?
わたしの子供時代は、「子供は水に漬かってれば自然に泳げるようになる」みたいな感覚で、わざわざ泳ぎを習う子はいなかった…と記憶しています。
田舎だから?たぶん私が三陸育ちだから。三陸はそんな感じでした。
泳ぎは主に学校か市営プール
プールがある学校の子は、体育の授業がある上、放課後や土曜日にもプールが解放されていて、進級や記録会もあるので、「すごく、泳げる」が普通でした。
みんな、「日焼けでまっくろ」だったし。
指導は学校だったので、先生も大変だっただろうな~、と思ったり、まあ監視や掃除は大変だけど、細かい泳法までは指導しないから、雑といえば雑だったような気もします。
なぜ泳げなかったのか。
学校にプールがなかった。水泳の授業がなかった。
私の通ってた学校は、小・中ずっとプールがありませんでした。
理由はたぶん、
- 水道の設備が整ってない地域だった。プールが作れない。
- 海が近いから。泳ぎたい子は勝手に海で泳いでいた。
- 「ヤマセ」という海風が吹いて寒い。水なんか入れない。
みたいな感じ。
水道設備がないから?
プールって、水槽のほかに
更衣室、シャワー、昭和の時代は腰までつかる消毒槽?とか
目を洗う水道とか!ありましたよね。懐かしい。
プールの施設を作れるほど豊かな町じゃなかったんだと思います。
水道施設に関しては、今もトイレは水洗ではありません。すごい。
そこ、日本なの?って言われますが、れっきとした日本です。
家庭では、簡易水洗という、なんちゃって水洗をつけてます。でも下がぼっとんだから、匂う。
川よりずっと標高が高い土地だからかもしれません。
プールがないなら海に行けばいいじゃない
三陸では、子供は自転車で海に行って潜ってたので、泳ぐというよりは素もぐりしてました。マジ。
ウニとかアワビとか獲ってる子もいました。
それ、密漁じゃないの?って話ですが、地元の人が自然にある海産物を獲ってるだけなので、OKみたいです。
山菜採りみたいなものでしょうか?贅沢ですね。
そんな感じなので、「泳げる」という子でも、クロールをきれいにできてる子なんていなかったように思います。
海だから泳法が違う…
フォームとか速度とか、かなり適当。海だし。波あるし。
寒冷地だから泳がない
そして夏、寒かった…
今はどうかわかりませんが、日照時間も少ない地域なので、泳ぎたいとすら思わない。
「今年、海開きなかったなー」という夏も何度か、ありました。
もう泳ぐ以前の話です。
朝ドラ「あまちゃん」で、海女クラブの美寿々さん(=美保純さん)の役柄が「冷え性に悩まされている」って設定で、
と思ったものです。
北三陸の人間にとって、海は、暗くて寒くて怖いところ。青い空と白い砂のイメージなどありません。
海黒いし。(プランクトンが多いそうです)岩場だし。
話がそれました。
年に1回バスで市営プールへ
日本の小学校の学習指導要領?には水泳指導があるのでしょうか?
プールがない学校なので、年に1度、山の上の田舎町からバスで町まで下りて市営プールに行くという授業がありました。遠足みたい。
私の家は海から遠かった(車で20分ぐらい)ので、潜りにも行かず、つまりずっとカナヅチでした。
授業もないので、泳げなくても別に困りませんでした。
高校のプールの授業で溺れかけました
高校に入ってやっと、学校のプールで体育の授業があり、私は真ん中へんの足のつかないところで溺れかけました。
深い所の水深が160cmぐらいあったのでしょうか。私の身長は154cm。顔が出ません。
ぴょんぴょん跳んで、
苦しい、助けて…!と思いながらどうにか足のつくところまで進み、なんとか周りにあんまりバレずに済んだものの、
クラスの子には「ふざけてるのかと思った~~」と笑われ、
と心の中で叫びました。
泳げない、白くて太ってるから水着になるのがいやだ。帽子かぶるとブサイクすぎる。プールの授業などもはや罰ゲーム。
きれいに焼けて、筋肉締まった水泳部の子が、夏は輝いていてまぶしく見えたものです。かっこいい・・・。
さすがに本当のカナヅチはクラスに1人か2人だったと思いますが、体育とか適当でいい学校だったので成績にも別に影響せず、泳げなくても全然OKだったので
ぐらいに思ってました。
25歳でスポーツジムに通う
動機はダイエット
今思い出しても不思議なのですが、ある日なぜか「そうだ、ジム行こう」みたいに思ったのです。
動機はやはり、「ダイエット」。
今や自分の外見(体型、服装、髪型)になんの興味もない私でも20代の頃はおしゃれのことばかり考えていました。浅い。恥ずかしい。
運動らしい運動をしていなかったので、痩せたいけどカロリーを消費する方法がわからない。
今とは違い情報の少ない時代だったので、歩いていける近くのスポーツジムに入会。
当時、二子玉川の高島屋の裏に、小ぢんまりとしたジムがあったのです。
今思うとあの規模が良かったように思います。
走りながら見ていた水泳
1人で何かするのは好きなので、はじめは毎日ルームランナーで走っていました。
30分は走らないと脂肪が燃えない・・・という定説通り(本当なんでしょうか)時間をセットして、
30分以上は走ることを自分に課していたのですが
走っている間、暇といえば暇です。
そんな時、流れていたDVDが、水泳だったのです。
オリンピックや世界の水泳大会なんだと思いますが、ほとんど毎日1人でマシンで走り、その間毎回毎回水泳の映像を観ていたら
と思うように。
これはザイオンス効果(単純接触効果)というやつでしょうか?
スポーツジム側の洗脳?
学生も終わって授業ないし、一生カナヅチでいいや。と思った私がなんだか水に入りたくなったのは、
ヨガとかフラとか女性でも始めやすいフィットネスが今ほどなかった当時、
「水泳って全身運動だからね~」という口コミがとても多かったというのもあります。
水泳は
- 全身使う
- 有酸素運動だ
- 体温を作るから脂肪を燃やす
と聞いて、高校の水泳部の子の引き締まった体へのあこがれが脳裏によみがえりました。
「泳げなくても、水の中を歩くだけでもいい」という口コミを聞くたびに
かつて溺れかけた恐怖も薄れてきて、自分の中で水泳への意欲がわき始めたそのころ、もうひとつきっかけがありました。
雑誌「ターザン」の水泳特集の効果
ふと立ち寄ったコンビニにあった雑誌「Tarzan(ターザン)」が
たまたまその時、スイミング特集だったのです。
思い返すとちょっとした運命。
今ならネットで検索すれば泳ぎ方はいろいろ探せるのですが、
当時はその雑誌を見つけたことがとても自分にとってタイムリーで
と速攻買って帰ったのでした。(単純)
プールに入りました
まずプールに入る準備
誰にも習ったことがないので、水泳のことが何もわからない。
デパートのスポーツ用品売り場に行き、フィットネス用の水着のいっちばん地味~な、
最安ランクの水着1着と、キャップを購入。
後でゴーグル必要だし!と気付いて買い足しました。
当時はワンピースの水着しかなかったのですが、今は競泳選手も半そで短パンみたいなスイムウェアを着てるので
身体の露出が少なくなって、良いですね。
今子供のプールに付き添っても、ママさんたちは半袖短パン水着にラッシュガードなので
ほとんど夏の私服感覚で水に入れます。
水着着る!という最初から高いハードルがまず下がってくれていい時代になりました…
話を戻します。
最初は歩くだけ
最初の1週間ぐらいはとりあえず歩いていました。
「水中を歩くだけでもいい」とはよく聞くので、水慣れしなきゃね~。とせっせと歩いていました。
フリーコースはやや年配の方もいて、みなさん腕を振って水を掻いたり、肩をストレッチしながら水中ウォーキングしているので、
私も真似してこつこつ歩き続けました。
ひたすら蹴伸び
1週間を過ぎた頃。
ターザンに「蹴伸びをしよう」とけっこうページを割いてしつこく書いてあったので、歩いては蹴伸び、歩いては蹴伸びを繰り返しました。
顔を水につける前に深呼吸して息を吸い、ぐーっ…と伸びては ちょっとずつ息を吐く。息が続くところまで伸びて、顔を上げて足をついたらまた歩く。
例のターザンには、「体を伸ばす感覚を味わいましょう」的なことが書いてあったので、とにかぐーん、ぐーんと伸びていました。
当時から会社員でデスクワークの毎日。肩や首は凝り固まっていましたが、全身を広いスペースで伸ばすっていう機会はなかなか、ありそうでないもの。
しかもプールなら水の中。浮力に助けられて、好きなだけのびのび、体を放り出すことができます。
だんだん水に入るのが気持ちよくなってきました。
手の練習をしてみる。息つぎはまだ。
3週間目ぐらいからでしょうか。徐々にクロールらしい手の動きをこっそり入れてみました。
泳いだことがないので自己流で手を動かすのは恥ずかしい。おばちゃんたちに混ざって歩きながら、こっそりです。
息つぎがまだできないので、小学校の時に父から聞いた、いわゆる「面かぶりクロール」というやつでしょうか。(今もその呼び名あるの?)
顔をつけて、蹴伸び。気持ちよく伸びながら、パシャッ、パシャッと手でかいて進んでみる。
ただ伸びている時より、少し進みます。
これも今だったらYouTubeでいくらでも動画があるので色々参考にするのですが、当時はコンビニで手に入れた「ターザン」だけが頼り。
「水を顔の下、胸のあたりから後ろに押し出して進む」
「てのひらで水の流れをキャッチするように」
みたいな、文面で取り入れた情報を自分の中でおこして、実践していく感じです。
「ターザン」には「足はほとんど動かさなくてよい。進むのは、手の動きです。」
「手で水を押して、脚はついてくるだけです」
て書いてあったのが私には新鮮でした。
泳ぐ=バタ足と思っていたので、足のことを考えなくていいんだ~ということが、また泳ぐことへのハードルを下げてくれました。
たしかにバシャバシャ足を動かすのは疲れるし、かえって体が沈んでいきます。
蹴伸びでつかんだ「気持ちよく浮かぶ」感覚のまま、手で進む。という動作を加えていきました。
あとは指先が開かない、ばちんばちんと水面を叩かないように、リラックスしてスッ、スッ、みたいな?(音ばっかり)
手の入水を優しく行うように注意してみました。
別に早く泳ぎたいわけじゃないので、とにかく楽に、のんびりのんびりやっていると
だんだん水の中で進む気持ちよさがわかってきて、プールに入るのが楽しみに。
息継ぎしてみました。
顔はどっちを向くのか問題
同じく3週間目ぐらいから、手と並行して顔を出す練習を始めてみました。
まず顔はどっちにすればよいのか?問題。「うしろから呼ばれて自然に振り向くほう」とかいわれますが、
それって聞こえた耳の方向を向くよね・・・?ということで、よくわからない。
私は右ききなので、右腕をぐーんと伸ばした時のほうがリラックスできて、腕を枕にしやすいので
結果的に水面に出すのは左側、という感じになりました。
普通はきき手側に顔を向けるのでしょうか?よくわかりません。
繰り返しになりますがタイムを縮めたいわけではなく、ただリラックスして運動したいだけなので、
とりあえず自分がなんとなく楽かも?と思えるほうでいいような気がします。
顔を出したら、リズムで呼吸してみる
歩く、蹴伸びする、ちょっと水掻いて、利き手を伸ばし、枕になった腕に頭がついてる感じで
顔を横っちょに向けて、口で「ぽっ」みたいに吐いて、鼻で吸う。
みたいなのを少しずつ少しずつ繰り返しました。
的なのもありながら。
この吐いて、吸う、というのが一瞬なので「ぽっ(吐)、すっ(吸)」みたいな感じです。
(合ってるのかわからん。)
でもとりあえずそんな感じのを繰り返していくうちに、25m泳げたので
「泳げたってことは、息できてた?」って感じになりました。
ちょうど子供(むすめ)が初めて泳げた時と同じ感じです。
息継ぎできたら泳ぐの楽しい
これも子供と同じで、プールの端から端までとりあえず泳げるようになったので、
タッチして蹴るだけのターンを繰り返し、50m、100m・・・と往復できるようになりました。
全然速度もなく、蹴伸びの延長でクロールしている程度なので、
ターンを繰り返したからといって息があがることもなく、もう何キロでも泳げます。
まあ当時20代だったからでしょうが。若いって、よかったなあ。(回想)
そういえば、耳に水が入るので、耳栓買って入れてました。
あったほうが快適に泳げます。
そのうち監視員兼インストラクターのお兄さんに泳ぎ方のこつを聞いたり、
歩くだけのフリーコースから出て、完泳レーンで泳いだりできるようになりました。
スポーツジムには1年ぐらい通い、転居のためそのうちプールは行かなくなりましたが、
今子供に付き合えるのも、あの時泳いでおいたおかげなので、やっておいてよかったなあと思います。
まとめ
大人になってからでも十分、泳げます
学生時代に1度も泳げたことのなかった私でも、割と苦労せず、楽しく泳げるようになりました。
自分が泳いでみたいと思った時に、期限もなく自分のペースでのんびり取り組んだのが良かったように思います。
遅いことなんてないんだなーと、取り組んだ自分を少し褒めてあげたいような、
ちょっとですが自信にもつながったような気がします。
続けるには、無理をしないこと
泳ごう、泳げるようになろう、というよりも、水の中で手足を伸ばすと気持ちいいなーー。
というところに楽しさを感じたのが良かったと思います。
授業じゃないので、自分の気分の良い運動をする。ということに意識を置くと無理せず続けられるんじゃないかと思いました。
1人で行ったというのも良かったように思います。
その後ヨガや整体に行くようになったのも同じことがいえるのですが、
誰かと約束すると、時間を決めたり、着替えたり、自分のぺースではなくなってしまうので、
好きな時間に好きなだけ水に入って、自分の体調をみて水から出たくなったら出る。
化粧落としても頭乾いてなくても適当で大丈夫。という気楽さが、通うハードルを下げたと思います。
運動は大事!
そういえば。きっかけはダイエットしたいという動機からだったはずでしたが、結果的には別に痩せはしませんでした。
大人のスポーツあるある。
でも>肩こりなどの不調が解消されたので、よかったです。
今は子供と毎週通うプールが自分にとっても楽しみになっているので、
ぼちぼち気楽に続けていきたいと思います。
泳げるようになっといてくれた25歳の時の自分に、ちょっとありがとうと思いました。