なぜ私が子供を望んだのかを今さら考察してみました。
選択的シングルマザー。生きる目標のために子供が欲しかった
親からの呪縛や、自己肯定感のなさが関係していたみたいです。
自分のために生きていても楽しくなかった。
自分以外のことで忙しくなりたかった。
それで、子供のいる人生を生きたい、と思っていました。
私、子ども欲しいかもしれない。:妊娠・出産・育児の〝どうしよう〟をとことん考えてみました
選択している人は昔からいた
今から20年ぐらい前は、今よりも「結婚して、子供を持つことは当たり前」のように思われたり、言われたりしていたように思います。
今もそういう考え方の人は多数なのかもしれませんが、だいぶ多様性が認められつつあると感じます。
20年前でも、「子を持たない」や「未婚で産む」ことを選択した人たちはいたはずですが、皆さん声を上げることなく淡々と子育てをしていたんだろうな、と自分がシングルマザーになってみて思いました。
子育てが始まってからわかったのですが、子供と生きてたら、世間が何を言おうが、そりゃもう子を飢えさせないことに必死なので、周りの声はけっこうどうでもよくなります。
きっと、これまでも、おひとりさまで産まない、または未婚で産むなど、マイノリティーを選んだ人たちは、アピールなどせず静かに生きていた。
そのため、結婚と出産以外の生き方について、知る機会が少なかった。
書籍もほとんどありませんでした。パリの人って参考になるのかな・・
20代。子供は嫌いでした。
自分は子供が嫌いだと思っていました。うるさいし、汚いし。
考えてみたら、自分が子供なんだから、よその子供なんて可愛くない方が普通なのかもしれません。
私には母性本能がないのだ、と思ってました。(ヒトに母性本能なんてないんだよってことは、だいぶ後にわかります。)
よそのお子さんを見ても、「かわいいね~」とは絶対に言いませんでした。
ただ、「子供嫌い」とは言っちゃいけない気がして「元気だね~」とかの声はかけていたと思います。
本当にお顔が美形なお子さんに限り、「かわいいねえ~」とは言ってました。
社交辞令ではなく、正直な感想です。
28歳ごろ。子供がかわいいと思えた
子供を育てるということをリアルに意識したのは、20代の後半に、甥っ子が生まれたのがきっかけだったと思います。
子供好きになるきっかけあるある。王道。
私は子供は好きじゃない、とずっと思っていたそんな時、甥が誕生しました。
ぶっちゃけ、赤子の頃は泣くし食べ方汚いし、こわれものみたいで怖いしで、私は少し離れたところから見るだけでしたが、幼稚園ぐらいからそれはそれはもう、かわいくなりました。
私の妹はミルクをあげたりおむつを替えたり、抱っこもしまくって可愛がっていたので、それを母性本能といえばそうなのかもしれません。
私の気持ちは父親に近かったのかもしれない。
何もできない、はかないこわれもののような赤ちゃんは、扱えなくて怖いけど、人間になるにつれて可愛さが増していく。
話ができるともっと楽しくなり、甥の幼稚園の運動会に出たりしました。
おばバカです。
30代。周りが子持ちになって行く。
周囲におばバカが増え、やがて30代になると友人たちも自分の子供を持つようになりました。
特に私の先輩、友人たちは「子供が生まれたら女の人は仕事を辞める」最後の世代。
当時の先輩、友人には産休育休を取得する人はいませんでした。本当にいなかった。ゼロでした。ゼロ。
100%寿退社です。
寿退社っていう言葉がもう死語ですね。今の職場では聞いたことがありません。
今にして思うと、
働けよ!!って感じなのですが、あたりまえに辞めてました。
産休、育休制度が本当に職場側に整っていなかったのかもしれません。
ただ、私は自分の母親がワーキングマザーで、姉も妹もそれぞれ産後1年で復職していたので、家庭におさまらない生き方のほうを身近に感じていました。
仕事辞めたり、自分の生活を変えずに子供もいる暮らしをしたい。と、はっきり思っていました。
姉が母になった時、毎日毎日赤子に泣かれあちこち汚され、(甥が高機能自閉症であることはもっと後に知ることになります)大変だ…子供無理…。と思いましたが、
子供が幼児になった2年後に姉は友人と楽しそうにスキーに行けていたので、「あんな大変な育児も、落ち着くものなんだ。」と思えたことで希望が持てました。
子を望んだ理由
理由1:子供がいない、自分だけが暇だから
そんな感じで既婚の友人ほぼ全員が家庭に入って育児、未婚(非婚)の友人は全員が会社で役職がつき多忙をきわめていく…
という両極にふれていたので、正直「家に入るのは嫌なんだけど、だからといって管理職を目指してはいないんだなあ」という私は半端な感じで20代の子らと似たような仕事をちんたらしていました。
仕事はちゃんと好きだし、やり甲斐もあります。人の役に立ちたい。
管理職を目指せないのは、仕事への意欲がないのではなく、社内の他の人の評価や管理に興味がなく、そこに時間を使いたくないからです。
そんなに攻めて生きなきゃいけないのかな?と仕事では悩み、
プライベートでは自分1人の食いぶちを稼いで、呑み食いしたり、芝居を観たり、旅をしたり、
という何かに申し訳ない気持ちにもやもやしていました。
友達や姉妹は未来のある子孫を必死こいて育てている。子供かわいい。成長おもしろい。
30代にもなって、自分1人のために服や化粧品買ったり、スイーツ食べたりしてるのが、学生と変わってないような、幼稚な気がして、何に対する罪悪感なのかわかりませんが、ちっとも楽しめなくなっていました。
仲良しだった姉と妹が母になり、子供の話が増えた、というより子供の話ばかりになったことにも疎外感を持っていました。
今までみたいに共通の話題でおしゃべりしたい。
女の人の世界には、結婚したらあっち側、しない人はこっち側…みたいな境界があり、仲良しだった姉と妹が「あっち側」に行ってしまった…と当時は感じていました。
実際はあっちとこっちの2箇所ではなく、結婚・働き方・子供の有無・子供の性別などでいろんなエリアがあることを後で知るんですが。/p>
「寂しい」「結婚や育児が羨ましい」「焦る 」という気持ちを未婚の友人から聞く機会もありましたが、私自身はそれらの感情は全然なく、自分もしたい!という気持ちとは違ったのですが、
そうなんです。暇でした。
自分の娯楽に楽しさがなくなっていたので、欲しいものも、したいこともない…。
子供でもいないと、人生が長すぎる…!!
と、思いました。
それを、独身の友人に話したら、「そんなことないよーけっこう忙しいし。」と言われました。
その友人は自分の人生に子供は望まない、結婚もどちらでもよい、という明確なビジョンがあるので、たしかに楽しそうです。
私には打ち込みたいことがなかっただけでした。今ならわかります。
暇つぶしのために子供が欲しかったんか。といわれたら、まあ、否めません。
こんなに暇がつぶれることは他にないと思う。
ただ暇がつぶれるだけではだめなのです。責任がないことは一生続けられないので。
人生がつまらなくて割と早く死にたいと思っていたので、生きる目標が欲しかった。
理由2:生きにくかった
私自身には焦りも寂しさもなかったのですが、そんな感じで中途半端だったので、「私はこれでいい。死ぬまで独りで生きていく!!」と言い切れるほどは腹をくくれていませんでした。
プチ毒母認定した母親から、「結婚は?誰かいい人いないの?」ばかり言われていたのもしんどかった。独身あるある。
母は特に昔の人な上に、上から言葉で子供を支配する人だったので、子供の頃から、今の時代では問題のある思想を私たち姉妹に押しつけてきました。
「子供のいない人は、ものの考え方が未熟だ。」
「◯◯さんは子供を育てたことがないから、自分が子供で幼稚だ。」
「子供を産まないと人として完成されない。」
などなど。
父方の親戚について、「◯◯おばちゃんも◯◯おばちゃんも、子供ができなかった。あの家系には不妊が多い。」と言い、
私たち姉妹には「あなたたちも子供を産めるか検査したほうがいい。」
とか、言う。
きょうだいに2人子供のいないご夫婦がいるからって、不妊の原因は男女どっちかもわかんないし、ご夫婦がそこまで望んでなかったのかもしれないし、わからんやん・・・。
母に限らず、昭和の人にはこういう考え方の人が多いのかもしれませんが、それにしたってちょっと言い過ぎなのでは…。
今こうして文字におこしてみると、言ってること全部間違っていますし、ちょっと書いているだけでもその差別と偏見に、苦しい気持ちになってきます。
しかも母は家の中にいた人ではなく、外で男性と同等の仕事をし、管理職にまでなった人。実際に自分の職場の部下についてこうした発言をしていたので、母の下で働いていた方たちには申し訳なく、気の毒な気持ちでいっぱいになります。
いやむしろ男の人と同等に仕事していたからこんな思考に染まってしまったのか?
母自身も、働く中で、もしかすると誰よりもセクハラパワハラ、モラハラに傷つけられたのかもしれません。
なんか悲しくなってきた…。
実際は前述の言葉のもっと酷いやつを、顔を合わせるたびどころか電話でも手紙でもメールでも、何百回と聞かされ続けてきました。
あえて言葉を選ばずに要約すると
「子供を産まない女はクズ、子育てを超える社会貢献をしない限り生きてる価値がない」
ぐらいの言葉を、私がいかに駄目な人間かという罵倒とあわせて投げつけられてきたので、
というところまで追い詰められていました。
もし私の母が「結婚も子供も選択肢のひとつよ。」と言ってくれるリベラルな人だったら、私が子を望むことはなかったと思います。
私の人生なんだから、そんな母の呪いなんか無視して好きにしてりゃよかったのですが、母と絶縁しない限り、母が生きている限り、その呪いから逃れることができない。
絶縁できるほどまで母を憎くはありません。
子を産めば、許される。その場所に行きたかった。
母の呪いというか、思い込みからやっと解放された今では、母の偏った意見はガン無視できますが、
母は今も健在なので(元気でありがたいのですが)、今度は子育てについて、社会について偏った意見をしてきます。
あのまま子なしで生きるにはいずれ一度は母と絶縁する以外に生きていられなかったのではないかなと思います。
いい歳して母のせいにして申し訳ないのですが、支配されて生きたことしかなかったので、子を持つ以外の打開策がもうわからなくなっていました。
理由3:古くなる卵子への絶望
30代のはじめには、「人生に、子供欲しいな」とは割とはっきり、思っていたので、「では今は何をすべきか?」は考えていました。
当時は妊活なんて言葉はありませんでしたが、未婚の妊活です。
基礎体温をつけていました。
私は生理に関する悩みがなかったので、子宮はまあまあ健康なのだろうと勝手に思ってはいたのですが、「卵子も老化する」ということを知り絶望していました。
不安とか焦りという言葉ではぬるい。
絶望です。
私の卵子は今年より来年、今日より明日、老いていく。
受精して育つ卵子はあといくつ残っているのだろう。
初潮から毎月排卵していたとして20数年、女性の平均値の卵子の数を持っているとして、私の妊娠可能な卵子ははあと10年程度でなくなる。
このまま子供も家族も持たずに独りで老いて、死んでいくのかな…
そんなことを考え始めたら、もう絶望しかありませんでした。
「卵子を凍結保存したい。」
「渡米して精子を買いたい。」
と思っていたのですが、その方法や金額は、インターネットで調べたぐらいでは探すことが出来ず、漠然と法外な費用がかかるであろうことも知り、いよいよ絶望していました。
それが32~36歳頃です。
理由4:有名なお一人様が後悔を語っていたから。
雑誌の「母になる」や「きちんと結婚」みたいな当時の特集に、「母にならなかった人」が載っていました。
私が読んだうちの、2009年版は夏木マリさん。
「劇団を立ち上げて子供のように育てたけれど、違うのよね、劇団と子供は。
子供は、産めばよかったなと思います。」
自分の仕事に本気で打ち込んで、一大プロジェクトを達成した人でさえ、子供を持たなかったことを悔いている、ということが衝撃でした。
雑誌のほかにも、いろんな方の自叙伝的な本やインタビューを読むと、テレビの世界で大御所といわれる方々(森光子さん、黒柳徹子さん、浅丘ルリ子さんなどなど)が、揃いも揃って「子供を持てなかったことが残念」と語っていました。
いずれも自分の母親よりも上の世代の人たちなので、「女は子を産むもの」という呪縛がきつい時代に、仕事を選択した、しかも、当時は仕事か家庭かどちらか一択しかなく、苦渋の決断されたのであろう人たちだからこその後悔なのだと思うのですが、当時の私は母から洗脳されていたせいもあり「やっぱり子がいないと老いてから後悔するんだ!」と思い込んでしまっていました。
まとめ
子供を望んだのは、自分の意思だと思っていましたが、考察の結果、洗脳というか呪いというか「産まなければいけない」と思い詰めていたからかもしれないということにあらためて気づきました。
子供育ててます、ということで社会での免罪符がもらえる、いや、母に認めてもらえる、と思っていました。
自分が生きにくいから子供を持ったなんて身勝手ですが、実際に子供を持てると(ほぼ)決まったその日から、本当に嬉しくて嬉しくて、それまでの重い重い呪いから解放された喜びでいっぱいでした。
もう迷いはありません。
子供がいるからといってわたしが社会から何かを認められたとか、急に偉くなったとか、人として完成されたなんてことはもちろんまったくありません。
むしろ生まれてからが、スタートでした。
それでも母とまともに口もきけなかった苦しみからは解放されて生きやすくなりました。
自分ももう一度生まれたような気持ちでした。
子を望んだのは私のエゴでしかない。
でも。エゴではなく子供を望む人なんているんでしょうか。
少なくとも誰でも自分の都合で子を望むんじゃないでしょうか。
とりあえずとても忙しくはなりました。
今はもう、誰にも理解して欲しいとか許して欲しいとかも望まなくなりました。本当は今の方が独りの時より生きにくいのかもしれませんが、やることがありすぎて、生きにくさを感じる暇すらなくなりました。
人生で1番したかったことができて今は幸せです。